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第二次世界大戦当時のユダヤ難民の遺族が日本政府に謝意! [最近のニュースから]

タイトルをご覧になって、ユダヤ人が日本に謝意?なんでユダヤ人と日本が関係あるんだろう、そんなふうに思った方がいらっしゃるのではないでしょうか。


今日は第二次世界大戦当時、ナチスドイツによって迫害をされたユダヤ人を話題にしてみました。



先ず、ユダヤ人ってどんな人たちなんでしょうね?



ユダヤ人は、ユダヤ教の信者またはユダヤ人を親に持つ者によって構成される宗教的民族集団のことをいいます。


原義は狭義のイスラエル民族のみを指したそうです。



由来は、イスラエル民族のひとつ、ユダ族がイスラエルの王の家系だったことからきています。



ユダヤ人というと、ナチスドイツを連想される方が多いと思います。



ユダヤ人の悲劇の元凶は、第一次大戦の敗北で国家が破綻したドイツを、強力な国家へ変えることを謳って頭角を現わした国民社会主義ドイツ労働者党、すなわちナチス党首アドルフ・ヒトラーです。


ヒトラーは、ユダヤ人を排除する政策を次々と打ちましました。



ヒトラーは「優生学」の思想から「優性民族」のアーリア人こそがドイツを支配し、ヨーロッパを統一すべきと考えていました。


そこで、「劣等民族」のユダヤ人を迫害、国外に追放することを目指したのです。



1939年ドイツはポーランドに侵攻しました。



それが第二次大戦の始まりですよね。



当時、ポーランドには200万人以上のユダヤ人が暮らしていました。



ナチスは、彼らを追放することを不可能と判断したようです。



追放という方針を変えて、彼らを強制居住区「ゲットー」に隔離します。



居住区といっても、外部との出入りを禁じられて強制労働に従事させられました。



さらに僅かな食糧しか与えられず、多くの人々が命を落としたといいます。



その後、ドイツは1941年に旧ソ連に侵攻することになります。



そして、ユダヤ人の追放や隔離ではなく、「処理」することへ方針を変更します。



処理とは抹殺するということです。



残酷な殺戮が始まることになります。



映画にもなりましたが、その殺戮の舞台の一つとなったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所「絶滅収容所」の登場です。


同時期に、旧ソ連がポーランドに侵攻、ユダヤ人は国外逃亡を図りました。



ボーランドから脱出したユダヤ人たちは、リトアニアに向かいました。



目指したのは、リトアニアにある日本領事館でした。



当時は、旧ソ連の共産主義に対する警戒から、わが国はドイツに接近していました。



日独伊3国軍事同盟は、学校の歴史の時間に勉強しましたよね(^^ゞ その様な事情から、ドイツの政策に反対する行為は、国として判断が難しかったようです。


そんな中、ポーランドからリトアニアに押し寄せたユダヤ難民が求めるビザ発給に対し、苦悩しつつも決断を下したのが、リトアニア領事代理の杉原千畝氏なのでした。



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フリー画像からお借りしました



杉原氏は本国の方針に反し、日本経由の亡命を助ける「通過ビザ」を発給を決断したのです。



同行の家族を含めると約6000人とも言われる命を救いました。



その多くが神戸に滞在していたそうです。



その時に発行されたビザは「命のビザ」とも言われています。



このお話はTV番組でも放送されたことがありましたね。



さて、やっと本題に入れそうです!(^^ゞ



まだ、ユダヤ人難民の救出に手を差し伸べた日本人がいたのです!



第2次大戦中に当時の駐ソ連大使、新潟県出身の故建川美次氏(1880~1945年)です。



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フリー画像からお借りしました



新潟日報さんの記事によりますと、今月22日、その発給されたビザ(査証)で命を救われたユダヤ人の難民の遺族5人が、米東部ニュージャージー州レークウッドで、在ニューヨーク総領事館の山野内勘二総領事と面会、日本側に謝意を伝えたということです。


そして、ユダヤ人の難民だった、当時17歳だった女性リスシェル・コトラーさん(1923~2015年)。リスシェルさんの五男アーロンさん(56)がこの日、自宅を訪れた山野内氏に「母を救ってくれた日本に感謝したい」と述べました。


山野内氏は「名誉に思う」と応じたそうです。



更に、アーロンさんは、日本政府などが建川氏の功績を認めるよう要請もしたということです。



以下は新潟日報さんの記事を抜粋しました!^^

山野内氏は「外交官として困難な判断を下したと思う」と述べ、建川がユダヤ難民脱出に果たした役割について、可能な範囲で調査などに協力する意向を示しました。

面会に同席した三女のエスター・ライヒさん(63)は「厳しい状況に立ち向かった人を記憶しておくべきだ。家族は建川に永遠に感謝している」と述べた。

四男のシュラガ・コトラーさん(60)は「母から建川の話をしょっちゅう聞いた。最近、遺品を整理して全て事実だったと分かった。建川はビッグピープル(懐の大きな人)の一人だった」と語ったということです。

リスシェルさんには9人の子どもと数多くの孫がいる。

夫らと設立し、アーロンさんが理事長を務めるレークウッドの大学は正統派ユダヤ教の世界的拠点となっているそうです。



ありがたいことですよね!



助けられたご本人だけではなく、そのご家族も感謝の気持ちを忘れていないのです。



何が本当に正しいのか、それを判断する力と実行力、見習いたいと思います^^
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