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今日5月29日は「白櫻忌・晶子忌」 [ちょっと気になること!]

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今日5月29日は「白櫻忌・晶子忌」あの与謝野晶子命日なんです。


昭和17年5月29日に亡くなりました。


与謝野晶子といえば、何と言っても『みだれ髪』思い出します。


本名与謝野志よう、夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)です。


明治37年、日露戦争の旅順攻囲戦に従軍していた弟の戦死を危惧して1904年(明治37年)9月に『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表しました。

その「君死にたまふことなかれ」に対して、大町桂月は「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難していいます。

これに対して与謝野晶子は『明星』11月号で「ひらきぶみ」を発表し、「歌はまことの心を歌うもの」と見事に反論しています。

与謝野晶子は今であれば当たり前の感覚の女性、大町桂月は当時としては大多数の思考だったのでしょうね。

でも、それまでは桂月は晶子の才能を認めており、親交も深かった歌人であったようです。


晶子は57歳で病没した桂月に『横浜貿易新報』(現在の『神奈川新聞』)に追憶を寄せています。


私の好きな詩人、石川啄木にも与謝野晶子、与謝野鉄幹を通して知り合った文学仲間、吉井勇、北原白秋、そして森鴎外、彼らから受けた刺激は啄木の文学形成に大きな影響を与えたそうです。

あっ、石川啄木まで話が飛んでしまうと長くなりますので、また今度^^



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