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今日4月10日は「駅弁の日」 [ちょっと気になること!]

各地で観光客が増えていますね。


海外からの観光客も増え続けています。


コロナウイルスによる感染は、本当に気にしなくて大丈夫なのでしょうか?


マスクの着用は個人の判断となり、今後は感染者が増えるようになるのだと思っています。


私は、もう暫くは仕事でも遊びでも、最低限マスクの着用は続けるつもりです!


さて、私たち日本人だけではないと思うのですが、旅行の楽しみの一つは駅弁ですよね^^


車窓の景色を楽しみながら、各地の名物に舌鼓を打つのはぜいたくなひとときです。


その土地ならではの食材や料理を食べられるとあって、日本では駅弁そのものが旅の楽しみのひとつと考えられています。

海外には駅弁は無いのかな?^^


まっ、それは分りませんが、日本で旅行をするなら駅弁を食べてほしいと思います。


はい、今日4月10日は「駅弁の日」です^^


日本鉄道構内営業中央会が1993(平成5)年に制定しました。


ちょうど4月は駅弁の需要拡大が見込まれる行楽シーズンですからね。


今日が弁当の日とされた訳は、「弁当」の「とう」から10日、さらに「4」と「十」を合成すると「弁」に見えることから。

ちなみに、駅弁が日本で初めて売り出されたのは1885(明治18)年7月16日でしたが、7月は季節がら弁当がいたみやすいため、「駅弁の日」を4月に記念日を制定することにしたそうです。

「駅弁記念日」は7月16日です^^
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今日4月9日は「大仏開眼供養の日」 [ちょっと気になること!]

今日4月9日は、東大寺の大仏(奈良の大仏)の開眼供養の日です。


奈良の大仏様を始めて近くで見たのは中学生の時です。


そう、修学旅行で京都と奈良に行った時に東大寺へ行ったんです。


大仏様がとにかく大きかったのを覚えています。


茨城の牛久大仏も見たことがありますが、比較の対象としてはいけないですよね^^


奈良の大仏様は、天平15年10月15日(743年11月5日)、聖武天皇は近江国紫香楽宮にて大仏造立の詔を発し、天平19年9月29日(747年11月6日)大仏の鋳造を開始しました。

そして、天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)大仏開眼供養会が盛大に執り行なわれたそうです。


開眼供養会とは、仏様の魂を入れ込む大切な儀式のことなのだそうです。


大仏様の正式な名称は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」と言います。


一般的には「奈良の大仏様」として親しまれていますよね。


大仏様の座高は14.98m、顔の長さは4.13mです。


銅座の高さは3.04mもあり、大仏様の高さは、約18m、重量は約250tにおよびます。


どうして、これほど大きな大仏をつくったのかと言いますと、お釈迦様の身長を10倍することで、無限大の宇宙を表現したと考えられています。

また、中国洛陽の龍門奉先寺の大毘盧舎那仏をモデルにしたとされています。


そして、大仏様は、度重なる被災により当初に制作された部分で現在まで残るのはほんの一部だそうです。

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今日4月8日は「花祭り」 [ちょっと気になること!]

先日、千葉県成田市の成田山新勝寺へお参りに行ってきました。


私が赤ちゃんの頃から新勝寺さんへ家族で参拝をしていました。


産まれて間もない頃だと思うのですが、新勝寺さんをバックにして祖母にダッコされている写真が何枚もあります。

今年はもっと早く行きたかったのですが、結局3月末になってしまいました。


そうそう、その際に境内にはお花祭りの看板がありました。


今年もそんな時期なんだな~なんて思ったのですが、参拝がもう少し遅ければお花祭りに参加できたんですけど、ちょっと残念です。

お花祭りは、お釈迦さまのお誕生なんですよね。


お釈迦さまは、約2,500年前の4月8日、ヒマラヤのふもと ルンビニー園でお生まれになりました。


その時、天と地をさし「天上天下唯我独尊」と仰せになりました。


生きとし生けるもの全てが等しく尊いものであるという御数えです。


その後、一生をかけて多くの人たちに「この世の中の人間や動物、草や木に至るまで、すべての生き物の生命は尊く、お互いに生かし合い尊びあうことによって救われていく」と教えられたのです。

ということで、今日4月8日は「花祭り」です^^


花祭りが行われるのは、今日4月8日に各地のお寺で花まつりが行われます。


ちなみに、お釈迦さまがいつ生まれたのか、明確に記録した資料はないようです。


お釈迦さまが生まれた年でさえ、紀元前11世紀から紀元前4世紀の広い範囲で諸説あるほどで、誕生の日は伝統的にそう信じられてきた日であるとしか言いようがないそうです。

たとえばユーラシア大陸の中央から東部にかけた地域で信仰されてきた大乗仏教(北伝仏教)では、中国暦の4月8日であると伝えられており、スリランカやミャンマー、タイなどに伝わった小乗仏教(上座部仏教)では、インド太陽太陰暦の2月15日をお釈迦さまの誕生日なんですって^^

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今日4月7日は「阪神高速鉄道開業した日」 [ちょっと気になること!]

最近は車を運転して遠出をすることがなくなりました。


コロナで旅行を自粛していたからなんです。


今年はお出かけをするつもりです^^


旅行に出かけると必ず高速道路を走ることになりますが、まだ関西方面へ車で出かけたことがないので、今年は関西の高速道路を走ってみたいと思います^^

今日4月7日は「阪神高速鉄道開業した日」です。


昭和43年の今日4月7日、阪神高速鉄道東西線・南北線が開業しました。


また、阪急電鉄・阪神電鉄・山陽電鉄が東西線への乗り入れを通じて相互直通運転を開始、神戸電鉄が南北線に乗り入れ開始しています。

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今日4月6日は「コンビーフの日」 [ちょっと気になること!]

誰でも知っているコンビーフ、そのコンビーフの缶の形って独特の形をしていますよね。


どうしてそんな形をしているのか、あなたはご存じですか?


コンビーフの台形の缶のことを、江戸時代の枕の形に似ていることから「枕缶」、枕缶を開けるための専用の器具のことは、巻き取り鍵と言うそうです。

枕缶に詰めるのは、面積が大きい側から肉を詰めることにより缶の中の空気を抜き、肉の酸化を防ぎ、保存性を高める効果があるためでした。

はい、今日4月6日は「コンビーフの日」です。


1875年の今日、コンビーフの台形の缶が特許登録をしました。


その台形の形は、アメリカの食品会社・リビー(Libby’s)が発明しました。

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今日4月5日は「集団就職列車初運行した日」 [ちょっと気になること!]

集団就職という言葉をご存じでしょうか?


私が子供の頃は歌謡曲のTV番組が多く放送されていました。


一昔前の歌番組では、歌の前に司会の名調子の曲紹介、通称曲振りがありましたよね。


例えはこんな感じ「歌は世につれ、世は歌につれと申します。大阪と云えば・・・(中略)・・・それでは歌ってもらいましょう。 天童よしみ、道頓堀人情!」とか^^

その中で集団就職の汽車で・・・なんて曲紹介で聞いたことがあります。


何となく想像は出来るのですが^^


で、例によって良く分らなかったので、調べてみることにしました。


集団就職は戦前から行われていたそうです。


特に広く知られるのは、日本の高度経済成長期に盛んに行われていた、農村から都市部への大規模な就職運動のことをさす場合が多いようです。

戦後期に工場生産システムが大量生産の時代に入り、製造業界では単純労働力を必要とされていました。

家族経営が多かった小売業や飲食業も家族以外に補助的な労働力を求めていたことから労働力が必要だったんですね。

賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、三大都市圏の転入超過人口の合計が40万人から60万人であったそうです。

中卒者を送り出す側の事情として、特に1970年(昭和45年)頃までの地方では、所得があまり高くなく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かったのです。

その様な事情もあり、子供が都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えが保護者にも学校側にも存在したようです。

こうした状況の下、中学校も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職として送り出していました。

1970年といいますと、ちょうど大阪万博が開催されていた頃ですよね。

当時は、地方から中学を卒業したばかりの子供たちが、汽車に揺られて就職をする為に都会を目指していたんですよね。

私が中学を卒業した頃は、何も考えない親の脛かじりのバカ息子でした^^


進学をしても勉強なんてしていませんでした。


本当に集団就職で都会へ出てきた子ども達と比べると、雲泥の差がありますよね~。


はずかしい~!


はい、今日4月5日は「集団就職列車初運行した日」なんですよ。


昭和29年の今日、青森駅15:33発・上野行き臨時夜行列車(集団就職列車)が運行開始されました。

昭和50年に廃止されるまで、桜の季節に運転される上野駅着の臨時夜行列車が「集団就職」のシンボル的な存在になっていました。

東京オリンピック開催の昭和39年には「金の卵」が流行語となり、井沢八郎が歌う『あゝ上野駅』が大ヒットしたそうです。
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今日4月4日は「あんパンの日」 [ちょっと気になること!]

今日4月4日は「あんパンの日」です。


あんぱん、美味しいですよね~^^


私は子供の頃からシンプルなあんパンが大好きです。


今でも、昼食時に食べる時間がない時には、あんパンと牛乳で済ませることもあります。


あんパンに牛乳が合うんですよね~


1875(明治8)年の今日、明治天皇が水戸藩の下屋敷を訪れた際、京都の和菓子に変わって純日本製のパンをお出しすることになりました。

そのときに献上されたのが、八重桜の塩漬けを入れた木村屋の桜あんパンだったそうです。


日本で初めてあんパンが製造されたのは、1874年でした。創業150年以上の老舗、木村家の創業者「木村安兵衛」が、日本酒の原料となる水・米・麹で「酒種あんぱん」を作ったことが始まりです。

もともとサムライだった木村安兵衛は、江戸時代から明治時代への移り変わりと共に、武士をやめてパン屋を作りました。

あんパンの生みの親はお侍さんだったですね~。


日本人に愛されるパンのヒントは「おまんじゅう」がヒントになっていたそうです。


イースト酵母がなかった当時のパンは、ホップ(=ビールと同じ酵母)で作られていましたが、食感は固く日本人の口にはなかなか合いませんでした。

頭を悩ませた木村安兵衛は、思索の末にある和菓子を思い出しました。それは、「おまんじゅう」です。

日本人に受け入れられるパンの研究を行い、おまんじゅうにあんが入っていたことからヒントを経て、アンコの入ったパンを開発しました。

そして天皇が勧めるあんパンが登場することになります!


木村安兵衛は、西洋のパンと日本のアンコを合体させた「あんぱん」を、西洋と日本の融合をテーマにする明治時代のシンボルとして位置付けようと考えたのです。

そこで、木村安兵衛が目を付けたのは、明治天皇でした。


江戸時代まで長く続いた鎖国から解放された明治時代を、西欧のパンと日本のアンコをミックスさせた「酒種あパン」の姿に重ね、明治天皇に献上したところ、天皇夫妻、特に皇后から気に入られ、宮中御用達となりました。

あんパンを食べた明治天皇は「ひきつづき納めるように」と木村安兵衛に伝えたそうです。


こうして、お墨付きを得た、”天皇が口にしたあんパン”が誕生したということです。


私たちが普段何気なく食べているあんパンには、こんな歴史があったようです。

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今日4月3日は「ペルー日本友好の日(embajada del peru en japón)」 [ちょっと気になること!]

今日4月3日は「ペルー日本友好の日」です。


明治32年2月27日、日本人移民790人を乗せた第1回移住船「佐倉丸」(日本郵船会社)が横浜港からペルーに出港し、同年4月3日にペルーのカヤオ港に到着しました。

このことを記念してペルー政府が制定しました。


ペルーは、北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面しています。

紀元前から多くの古代文明が栄え、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地でした。

その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっています。

ペルーは世界でも最も多様性のある国のひとつです。


たくさんの文化や伝統にあふれ、上質な料理と豊かな自然に恵まれています。


合計12のユネスコ世界遺産があり、世界に存在する117の生物分布帯のうち、84がペルーにあります

そして、120万km²の広大な土地を持ち、国土は大きく海岸部、山岳部、熱帯雨林に分かれています。人口は3,100万人以上だそうせす。

公用語はスペイン語ですが、ケチュア語、アイマラ語を含め、47の固有の言語があります。

首都はリマです。


私はペルーといいますと、「ぺルー大使公邸占拠事件」を思い出します。


1996年12月17日、在外公館の最重要行事である天皇誕生日祝賀レセプションを行っていた在ペルー日本大使公邸に、覆面姿の左翼ゲリラ、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)メンバー14人が侵入、ペルー政府要人や日本人現地駐在員ら600人以上を人質にした事件です。

人質は順次解放されたのですが、犯人との交渉は決裂し、特殊部隊が密かに掘削を進めていたトンネルなどから進入して銃撃戦となり、MRTAは14人全員が死亡、さらに、72人に減っていた人質のうち1人が死亡、特殊部隊員2人も犠牲となりました。 

そすいえば、当時大統領は日系のフジモリ大統領でしたね。


フジモリ氏は、その後に国内での政争に敗れ2000年に日本に亡命しました。
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今日4月2日は「光太郎忌」 [ちょっと気になること!]

今日は4月2日は、詩人・歌人・彫刻家の高村光太郎が亡くなった日です。


光太郎は昭和31年4月2日になくなりました。


彫刻家の高村光雲の長男として東京府東京市下谷区下谷西町3番地(現在の東京都台東区東上野1丁目)で誕生しました。

詩集『智恵子抄』で有名ですね。


彫刻としては十和田湖畔の『乙女の像』などが広く知られています。


戦後、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現・花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送りました。

この小屋は「高村山荘」として保存公開されているほか、ゆかりの地、花巻市には高村記念館があります。

お墓は都営染井霊園にあるそうです。


私が高村光太郎を知ったのは学校の教科書でした。


教科書に載っていたのは「道程」という詩でした。


「道程」
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


高村光太郎の「道程」は、大正3年(1914年)2月9日に作られ、「美の廃墟」3月号に発表されましたが、そのときは102行の長詩だったそうです。

それが9行の詩となり、詩集『道程』が刊行されたのは同年10月でした。


あの長沼智恵子と結婚したのは12月でした。
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今日4月1日は「売春防止法施行記念日」 [ちょっと気になること!]

今日はエイプリルフール,罪のない嘘をついて良いとされる日で日本では「四月馬鹿」とも呼ばれていますよね^^

でも、話題がエイプリルフールでは面白くないと思いましたので、今日4月1日は、「売春防止法施行の日」にしてみました。

1957年の今日「売春防止法」が完全施行されました。


前日までに、合法的に売春が行われていた「赤線」の店は一斉に廃業しました。


「売春防止法」はいわゆる「ザル法」と呼ばれている法律です。


どんなにに素晴らしい法律をつくっても、使う人間次第で穴だらけになってしまいます。


悪知恵を働かせて抜け道をつくれば、その抜け道を塞がなければなりません。


そんないたちごっこが繰り返されると、結局は自分の首を自分で絞める結果となるでしょう。


どうしても私たちの社会に売春という行為が必要なのであれば、賭け事の様に合法的に運営する組織が必要になるのかもしれません。

ちなみに、賭博罪といって金品を賭けて偶然に左右される勝負をすると成立する犯罪だとされています。

刑法第185条は、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。」 と、賭博行為を罪として規定しています。

また、「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する。」 (刑法186条2項)と、主催者として賭博をさせる場所を設けることも罪として規定しています。

もちろん、賭け麻雀、賭けゴルフも形式上は賭博罪となり、比較的身近な犯罪ということができます。

では、パチンコ店のしていることは?^^


おかしなことが沢山ありますよね。


一説によりますと、パチンコ店は警察官僚が沢山天下っているそうです^^


権力者が自分たちの都合で・・・
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