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今日4月5日は「集団就職列車初運行した日」 [ちょっと気になること!]

集団就職という言葉をご存じでしょうか?


私が子供の頃は歌謡曲のTV番組が多く放送されていました。


一昔前の歌番組では、歌の前に司会の名調子の曲紹介、通称曲振りがありましたよね。


例えはこんな感じ「歌は世につれ、世は歌につれと申します。大阪と云えば・・・(中略)・・・それでは歌ってもらいましょう。 天童よしみ、道頓堀人情!」とか^^

その中で集団就職の汽車で・・・なんて曲紹介で聞いたことがあります。


何となく想像は出来るのですが^^


で、例によって良く分らなかったので、調べてみることにしました。


集団就職は戦前から行われていたそうです。


特に広く知られるのは、日本の高度経済成長期に盛んに行われていた、農村から都市部への大規模な就職運動のことをさす場合が多いようです。

戦後期に工場生産システムが大量生産の時代に入り、製造業界では単純労働力を必要とされていました。

家族経営が多かった小売業や飲食業も家族以外に補助的な労働力を求めていたことから労働力が必要だったんですね。

賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、三大都市圏の転入超過人口の合計が40万人から60万人であったそうです。

中卒者を送り出す側の事情として、特に1970年(昭和45年)頃までの地方では、所得があまり高くなく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かったのです。

その様な事情もあり、子供が都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えが保護者にも学校側にも存在したようです。

こうした状況の下、中学校も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職として送り出していました。

1970年といいますと、ちょうど大阪万博が開催されていた頃ですよね。

当時は、地方から中学を卒業したばかりの子供たちが、汽車に揺られて就職をする為に都会を目指していたんですよね。

私が中学を卒業した頃は、何も考えない親の脛かじりのバカ息子でした^^


進学をしても勉強なんてしていませんでした。


本当に集団就職で都会へ出てきた子ども達と比べると、雲泥の差がありますよね~。


はずかしい~!


はい、今日4月5日は「集団就職列車初運行した日」なんですよ。


昭和29年の今日、青森駅15:33発・上野行き臨時夜行列車(集団就職列車)が運行開始されました。

昭和50年に廃止されるまで、桜の季節に運転される上野駅着の臨時夜行列車が「集団就職」のシンボル的な存在になっていました。

東京オリンピック開催の昭和39年には「金の卵」が流行語となり、井沢八郎が歌う『あゝ上野駅』が大ヒットしたそうです。
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