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今日4月2日は「光太郎忌」 [ちょっと気になること!]

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今日は4月2日は、詩人・歌人・彫刻家の高村光太郎が亡くなった日です。


光太郎は昭和31年4月2日になくなりました。


彫刻家の高村光雲の長男として東京府東京市下谷区下谷西町3番地(現在の東京都台東区東上野1丁目)で誕生しました。

詩集『智恵子抄』で有名ですね。


彫刻としては十和田湖畔の『乙女の像』などが広く知られています。


戦後、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現・花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送りました。

この小屋は「高村山荘」として保存公開されているほか、ゆかりの地、花巻市には高村記念館があります。

お墓は都営染井霊園にあるそうです。


私が高村光太郎を知ったのは学校の教科書でした。


教科書に載っていたのは「道程」という詩でした。


「道程」
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


高村光太郎の「道程」は、大正3年(1914年)2月9日に作られ、「美の廃墟」3月号に発表されましたが、そのときは102行の長詩だったそうです。

それが9行の詩となり、詩集『道程』が刊行されたのは同年10月でした。


あの長沼智恵子と結婚したのは12月でした。


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