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今日3月11日は「いのちの日」 [ちょっと気になること!]

今日は3月11日ですね。


3月11日に何が起こったのか、ご存じない方はいらっしゃらないのではないでしょうか。


東日本大震災から12年経ちました。


震災関連死を含めた死者と行方不明者は2万2000人あまりにのぼり、今なお、多くのかたがたが避難生活を余儀なくされています。

あの時、何があったのか、今日は思い出してみましょう。


東日本大震災では様々な悲劇が起こりました。


その中でも福島の原発事故h忘れることは出来ません。


それは、東日本大震災の発生時に運転中だった東京電力福島第一原子力発電所1〜3号機で発生しました。

わが国の観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震に見舞われました。


同発電所は震度6強を感知、さらに、想定していた最高水位6.1メートルをはるかに超える高さ約13メートルの大津波に襲われ、建屋内の原子炉を運転・制御するための電源を喪失しました。(実際には想定で来ていたそうですが)

原子炉の圧力容器や格納容器の冷却が不可能となり、炉心が損傷、燃料も溶融、1号機、3号機、停止中の4号機が水素爆発を起こして放射性物質を環境へ大量に放出するという重大事故に至りました。

事故を深刻にした大きな原因は、津波に関する防護が脆弱であったこと、すべての電源を失った場合の注水手段が十分に整備されていなかったこと、炉心損傷後の影響を緩和するための手段が十分に整備されていなかったことなどがあげられます。

1~3号機が冷却機能を失ったタイミングは各号機によって異なりますが、事故の進展は各号機とも同様でした。

また、同原発の所長として原発事故の収束作業を現場で指揮した吉田昌郎氏は脳出血を起こし、療養を続けていましたが、2013年7月9日にがんで死去されています。

享年58歳だったそうです。


きっと、お亡くなりになった原因としては、ストレスによるところも多分にあったのではないでしょうか。

事故では、現場のトップとして主に原発敷地内の免震重要棟で作業を指示されていました。


原子炉格納容器が水素爆発するのを防ぐため窒素ガス注入を指示する本店幹部に対し「そんな危険なこと作業員にさせられるか」などと食ってかかることもありました。

また、原子炉を冷却する海水の注入中断を東電本店から指示されたが、注水を続けましたよね。


事故後初めて報道陣の取材に応じた際のコメントとして、3月11日から1週間は死ぬだろうと思うことが数度あった、炉心溶融がどんどん進み、コントロール不能になる。終わりかなと思った」と語っていらっしゃいました。

どんなに怖ろし思いをされてのか、私たちでさえテレビの報道をみながら怖ろしい思いをしたのですが、その何百倍、何千倍もお辛い思いをされたのでしょうね。

はい、今日3月11日は「いのちの日」です。


この記念日は「災害時医療を考える会」(Team Esteem)が制定し、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われたことから、命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的とされています。

関連する記念日としては9月1日で、関東大震災が発生したことに由来して「防災の日・防災用品点検の日」となっています。

さらに1月17日は「防災とボランティアの日」となっています。


1995年1月17日に淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しましたよね。


阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われました。
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