台湾・旧日本軍の軍人が神様に! [気になる情報]
今日は嬉しい話題です^^
以前、TVの番組でも放送されていたのですが、5/9の茨城新聞さんの記事にもなっていましたので、そのことを話題にしてみました。
その話題の舞台となったのは、台湾の台南市です。
旧日本軍の軍人が、地元の守り神として祭られているのです。
その軍人さんは、茨城県水戸市出身の杉浦兵曹長です。
1944年、日本の統治下だった台湾の海軍航空隊でゼロ戦のパイロットだったそうです。
杉浦兵曹長は、米軍機をゼロ戦で迎撃した際に被弾しました。
急降下する先に台南の集落があるのを見た杉浦兵曹長は、住民を守るため集落への墜落を回避し、米軍機からの機銃掃射を受けて戦死したと伝えられています。
台南の住人は、杉浦兵曹長をたたえる霊堂の「飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」を造りました。
出典:wikipedia
フリー画像からお借りしました
今でも地元の守り神としてお祭りされているということです。
有難いですよね。
きっと、言葉や肌の色、国や宗教が違っていても人としての心は通じ合えるということなのでしょうね。
そして、感謝するという気持ちも。
同霊堂を含む周辺の廟の祭りが4月27日に台南市で開かれたそうです。
日本からも、そのお祭りに70人ほどの人が参加したということです。
これからも、わが国と台湾との交流が益々盛んになると良いですよね!^^
杉浦兵曹長をたたえる霊堂の「飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」について、wikipediaからの抜粋です。
『1944年、台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)は零式艦上戦闘機三二型に搭乗して台湾沖航空戦に出撃。
10月12日午前、台南上空で米軍機を迎え撃つも撃墜され、落下傘降下中に機銃掃射を受けて戦死した。軍靴には「杉浦」と書かれていて、その後第二〇一海軍航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、この飛行士が「杉浦茂峰」と判明した。
第二次世界大戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。
白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したところ、同じ夢を見たという者が数人名乗りでた。
その後、その海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。
自分の生命を犠牲にして村人を救った杉浦を祀るため1971年、落下地点に廟を建設した。
現在は毎日管理人が朝夕2回、煙草に点火して神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海行かば」を祝詞として歌っている。
2016年9月21日には神像が高雄国際空港から成田国際空港を経て杉浦の故郷である茨城県水戸市に運ばれて里帰りを果たし、翌22日には茨城県護国神社で慰霊祭が営まれた。
これは、2016年春に廟を訪ねた日本人作家の夢枕に杉浦が立って「水戸に帰りたい」と告げたという話があり、それを受けて廟の管理委員会が神像に伺いを立てたところ「その通りである」との託宣を得たことによる。
その後、神像は台湾に戻されるが、同神社には茨城県に関係した軍人・軍属が合祀されていることから、飛虎将軍廟から護国神社に分祀しようという計画もあるという。』
杉浦茂峰(すぎうら しげみね)
大正12(1923)年11月99日生まれ。茨城県水戸市出身。日本海軍の兵曹長。1944年の台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜され畑の中に落ちて戦死。享年20歳。
戒名は「忠勝員義阿繁峰居士」
出典:NAVERまとめ
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以前、TVの番組でも放送されていたのですが、5/9の茨城新聞さんの記事にもなっていましたので、そのことを話題にしてみました。
その話題の舞台となったのは、台湾の台南市です。
旧日本軍の軍人が、地元の守り神として祭られているのです。
その軍人さんは、茨城県水戸市出身の杉浦兵曹長です。
1944年、日本の統治下だった台湾の海軍航空隊でゼロ戦のパイロットだったそうです。
杉浦兵曹長は、米軍機をゼロ戦で迎撃した際に被弾しました。
急降下する先に台南の集落があるのを見た杉浦兵曹長は、住民を守るため集落への墜落を回避し、米軍機からの機銃掃射を受けて戦死したと伝えられています。
台南の住人は、杉浦兵曹長をたたえる霊堂の「飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」を造りました。
出典:wikipedia
フリー画像からお借りしました
今でも地元の守り神としてお祭りされているということです。
有難いですよね。
きっと、言葉や肌の色、国や宗教が違っていても人としての心は通じ合えるということなのでしょうね。
そして、感謝するという気持ちも。
同霊堂を含む周辺の廟の祭りが4月27日に台南市で開かれたそうです。
日本からも、そのお祭りに70人ほどの人が参加したということです。
これからも、わが国と台湾との交流が益々盛んになると良いですよね!^^
杉浦兵曹長をたたえる霊堂の「飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」について、wikipediaからの抜粋です。
『1944年、台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)は零式艦上戦闘機三二型に搭乗して台湾沖航空戦に出撃。
10月12日午前、台南上空で米軍機を迎え撃つも撃墜され、落下傘降下中に機銃掃射を受けて戦死した。軍靴には「杉浦」と書かれていて、その後第二〇一海軍航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、この飛行士が「杉浦茂峰」と判明した。
第二次世界大戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。
白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したところ、同じ夢を見たという者が数人名乗りでた。
その後、その海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。
自分の生命を犠牲にして村人を救った杉浦を祀るため1971年、落下地点に廟を建設した。
現在は毎日管理人が朝夕2回、煙草に点火して神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海行かば」を祝詞として歌っている。
2016年9月21日には神像が高雄国際空港から成田国際空港を経て杉浦の故郷である茨城県水戸市に運ばれて里帰りを果たし、翌22日には茨城県護国神社で慰霊祭が営まれた。
これは、2016年春に廟を訪ねた日本人作家の夢枕に杉浦が立って「水戸に帰りたい」と告げたという話があり、それを受けて廟の管理委員会が神像に伺いを立てたところ「その通りである」との託宣を得たことによる。
その後、神像は台湾に戻されるが、同神社には茨城県に関係した軍人・軍属が合祀されていることから、飛虎将軍廟から護国神社に分祀しようという計画もあるという。』
杉浦茂峰(すぎうら しげみね)
大正12(1923)年11月99日生まれ。茨城県水戸市出身。日本海軍の兵曹長。1944年の台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜され畑の中に落ちて戦死。享年20歳。
戒名は「忠勝員義阿繁峰居士」
出典:NAVERまとめ
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2018-05-15 00:00
nice!(205)