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今日3月19日は「団地で初の入居者募集を開始した日」 [ちょっと気になること!]

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あなたのお住まいの近くに団地はありますか?


最近は各地で老朽化した団地の建て替えが始まっています。


団地って何時ごろからあるのでしょう?


ちょっと調べてみました^^


太平洋戦争が終結した昭和20年代初頭は日本国内の住宅が不足し、昭和25年に住宅金融公庫法、昭和26年に公営住宅法、昭和30年に日本住宅公団法が制定され、住宅不足解消の一翼を担いました。

また、地方住宅供給公社の前身となる団体が昭和20年代半ばに設立されました。


公営住宅、公団住宅、公社住宅とRC造の共同住宅が数多く建設されたことで、複数の住棟が立ち並ぶ団地が形成されていきます。

これが、団地の始まりだったようです。


団地の間取りは当時としては憧れだったようです。


食寝分離の住宅は台所に流し台、浴室に水洗トイレが設置されるなど、近代的な生活スタイルは憧れの的となったそうです。

今では当たり前の間取りなんですけどね。


その様な生活を求めて団地へ申し込む方が殺到したことにより、数十倍の倍率を射止めた方が入居できたそうです。

また、電化製品の三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を揃えて団地生活を送ることが一種のステータスとなった時期で、団地生活に憧れを抱く人が増えたと言われています。

その人々の憧れだった団地は、高度経済成長期と合わせて発展します。


昭和30年代から昭和40年代に掛けて、高度経済成長期にあわせて団地の建設が盛んに行われました。

郊外には生活関連施設(教育機関、金融機関、店舗等)が併設したニュータウンが建設され、多くの方がニュータウン生活を送りました。

有名なところででは、多摩ニュータウンがありますよね。


当時、団地には20代から40代の子育て世代が多く入居していたこともあり、お母さん達の目が届く範囲で子供たちが公園に集まることで様々な遊びをすることができる素晴らしい環境だったようです。

昭和30年代から昭和40年代は、高度経済成長期と合わせてベビーブームも到来し、数多くの子育て世代が団地生活を送ってきましたが、団地も経過年数により老朽化が目立つようになりました。

そのため、新しいタイプのマンションに建替えられるなど、間取りも当初の2DKだけではなく、ライフスタイルに合わせたリビング併設の2LDKや3LDK以上の大型プランも作成されるなど、団地としての機能が発展しました。

しかし、大きな問題となっているのは、子世代が独立して団地から転出し、昭和50年以降の出生数減少に伴い団地に数多く見られた子供たちも少なくなり、小学校が廃校となり、店舗が閉鎖になるなど団地住まいにとって利便性が損なわれるケースも多々見られます。

また、高齢化率の高い団地も見受けられるようになり、ゴーストタウン化する団地などが社会問題にもなっています。

立地条件の良い団地は近代的な再生事業の波に乗れるのでしょうが、そうでない場合は老人だけが生活する団地となっているようですね。

はい、今日3月19日は「団地で初の入居者募集を開始した日」です。


1956(昭和31)年3月19日、日本住宅公団が初となる第1回目の入居者募集を行いました。


募集地域は大阪府堺市にある金岡団地で、家賃は2K:4,050円、2DK:4,850円だったそうです。

当時の同地区の家賃相場よりも2,000〜4,000円ほど安かったようです。


価格帯で公募された団地は、総戸数900戸の募集に対して約3倍以上の応募が殺到したといいますから、その人気が分りますよね。


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