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今日10月27日は「松陰忌」 [ちょっと気になること!]

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私は子供の頃から時代劇が好きでした。


周囲の大人の影響からだったと思います。


親戚で剣道をしていた方がいたことで、私も剣道の道場へを小学生の時から通っていました。


幕末ものが特に好きで、その頃に活躍したい人として有名なのが坂本龍馬ですよね、歴史に興味のない方も坂本龍馬の名前は知っていると思います。

その竜馬と同じくらい有名とされている人物の1人、吉田松陰を忘れてはいけません。


私の尊敬している人物の一人が吉田松陰です。


吉田松陰は安政6年10月27日(1859年11月21日)没。萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれました。

幼名を杉寅之助といい、容姿後には名字が吉田に代わり、虎次郎という通称に改める事となります。


長州藩士であり、思想家であり教育者であり更に兵学者だもあったとされる人物でした。


松下村塾で久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖などを教育しました。

安政の大獄に連座し伝馬町牢屋敷に投獄され斬首刑となっています。


処刑直後に葬られた小塚原回向院(東京都荒川区)には墓石があります。


文久3年(1863年)に改葬され、その墓所には松陰神社(東京都世田谷区若林)が建ち、故郷の萩市にも松陰神社が鎮座しています。

ところで、吉田松陰と坂本龍馬と出会いがあったとされる記録はないのだそうです。


しかし、教え子であった高杉晋作や久坂玄瑞らとは坂本龍馬も接点があったことから、竜馬、松陰ともにお互いに何らかの影響を受けたのではないでしょうか。

はい、今日10月27日は「松陰忌」です。


以下、松陰神社のホームページより抜粋しました。


「松陰神社鎮座の由来について」
吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。

その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。

神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。

明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。

今日の社殿は昭和二年から三年にかけて造営されたものです。

近年は学問の神として崇敬を集め参拝者は全国各地に及んでいます。

松陰神社:東京都 世田谷区 若林4-35-1
03-3421-4834


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