50年前の沖縄を振り返って [とても気になること!]
スポンサードリンク
今日は20日にアップしようと思っていた記事なのですが、良くあることで忘れていました^^
その記事を載せますね。
私は全く記憶にはないのですが、50年前の12月20日、米統治下の沖縄で県民が怒りを爆発させました。
その事件は「コザ騒動」と呼ばれ、約80台の米軍関係の車両を焼き打ちしたという事件でした。
「ゴザ」とは地名で現沖縄市のことです。
沖縄県民がなぜそのような事件を起こしたのか、背景にはなにがあったのか、先の大戦によりわが国は連合軍に占領されました。
軍人だけではなく、多くの民間人の命が奪われた沖縄戦から続く哀しみの歴史や、米軍人・軍属による犯罪を罪に問うことができない不条理の蓄積があったからだそうです。
そんな記事が、琉球新報社さんとYahoo!ニュースさんによる連携企画記事として掲載されていました。
今日はその「コザ騒動」を取り上げてみたいと思います。
その事件は、1970年12月20日未明、嘉手納基地の門前町で起きました。
1970年は、こんなことがあった年でした。
■日本万国博覧会(大阪万博)開幕(入場者6,421万 8,770人)
■日本航空機よど号ハイジャック事件発生
■ボーリング・ブーム
■ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋にオープン
■マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン
■「ちり紙交換」開始
■ウーマン・リブ大会
■国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功
■電電公社(現・NTT)がキャッチホンの発売を開始
■アポロ13号打ち上げ
■FM東京・大阪音楽FM・福岡FM音楽放送が本放送開始
■植村直己・松浦輝夫がエベレスト登頂に成功
■日本初の歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施
■初の公害メーデー実施
■広島ホームテレビ開局
そして、この年は環境汚染(公害)が社会的事件として大きくクローズアップされた年でもありました。
既に顕在化していた4大公害事件(四日市ぜんそく、水俣病、イタイタイ病、阿賀野川水銀中毒)の訴訟が進んでいました。
更に、市民生活を脅かす新しい公害が現れてきた。東京牛込区の自動車排気ガスによる鉛中毒、東京杉並区の光化学スモッグ、静岡県田子の浦のヘドロ公害などが、この年に相次いで表面化しています。
当時、大人だった方は直ぐに思い出して頂けたのではないでしょうか。
その記事によりますと、事件の直接のきっかけは20日未明、映画館やホテル、飲食店などが軒を連ねるコザ市(現沖縄市)の大通り、軍用道路24号(現国道330号)で道路を横断していた住民を米兵運転の車がはねた交通事故だったそうです。
米軍警察と琉球警察が現場検証にあたったが、付近の歓楽街などから集まった人々は、これまで起きた交通事故での米軍側の処理に不信を抱いており、一帯は騒然となりました。
さらに、事故現場近くで別の米兵による追突事故が発生したことを切っ掛けとして、群衆の一部が事故車やMPに石を投げ、MPカーをひっくり返して火を放ったのです。
MPは空に向けて数発、威嚇発砲をしましたが、それが逆効果となり事態は収拾不能な状況となってしまいました。
群衆は軍用道路で、米憲兵や米軍関係の車両を次々と横転させ炎上させる行為が繰り返されました。
午前7時ごろ憲兵の警備で群衆が退散するまで、騒動は約6時間に及んだ。加わった数は5千人ともされています。
被害車両は82台。米側56人、地元住民32人の計88人が負傷、琉球警察は476人、米側は198人を出動させて鎮圧にあたりました。
群衆の一部は嘉手納基地内にも進入し、21人が現行犯で逮捕されています。
さて、この事件の原因は何処にあるのでしょう?
戦後、わが国の政府は目をつぶり(無視)続けていた占領軍(米軍)との関係です。
その米軍が事故や犯罪を起こすと思い出したように取り上げられるのが「日米地位協定」ですよね。
「日米地位協定」?聞いたことがあるけれど内容はよく知らない、そんな人が多いのではないでしょうか。
まして、協定の条文そのものを見たことがある人は、そんなに多くはないでしょう。
でも、どうも問題があるようだ、そう思っている人は少なくないはずです。
そんな「日米地位協定」の問題がわが国で広く共有されるようになったのは、1995年以降だといいますから、政治家や官僚のみなさんは寝ていたのでしょうか?
先の大戦で敗戦国となったのはわが国以外にもありますよね。
当時の同盟国であったドイツ、イタリアでは不平等な地位協定はどうなっているのか?お正月休み中に調べてみたいと思います。
スポンサードリンク
今日は20日にアップしようと思っていた記事なのですが、良くあることで忘れていました^^
その記事を載せますね。
私は全く記憶にはないのですが、50年前の12月20日、米統治下の沖縄で県民が怒りを爆発させました。
その事件は「コザ騒動」と呼ばれ、約80台の米軍関係の車両を焼き打ちしたという事件でした。
「ゴザ」とは地名で現沖縄市のことです。
沖縄県民がなぜそのような事件を起こしたのか、背景にはなにがあったのか、先の大戦によりわが国は連合軍に占領されました。
軍人だけではなく、多くの民間人の命が奪われた沖縄戦から続く哀しみの歴史や、米軍人・軍属による犯罪を罪に問うことができない不条理の蓄積があったからだそうです。
そんな記事が、琉球新報社さんとYahoo!ニュースさんによる連携企画記事として掲載されていました。
今日はその「コザ騒動」を取り上げてみたいと思います。
その事件は、1970年12月20日未明、嘉手納基地の門前町で起きました。
1970年は、こんなことがあった年でした。
■日本万国博覧会(大阪万博)開幕(入場者6,421万 8,770人)
■日本航空機よど号ハイジャック事件発生
■ボーリング・ブーム
■ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋にオープン
■マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン
■「ちり紙交換」開始
■ウーマン・リブ大会
■国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功
■電電公社(現・NTT)がキャッチホンの発売を開始
■アポロ13号打ち上げ
■FM東京・大阪音楽FM・福岡FM音楽放送が本放送開始
■植村直己・松浦輝夫がエベレスト登頂に成功
■日本初の歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施
■初の公害メーデー実施
■広島ホームテレビ開局
そして、この年は環境汚染(公害)が社会的事件として大きくクローズアップされた年でもありました。
既に顕在化していた4大公害事件(四日市ぜんそく、水俣病、イタイタイ病、阿賀野川水銀中毒)の訴訟が進んでいました。
更に、市民生活を脅かす新しい公害が現れてきた。東京牛込区の自動車排気ガスによる鉛中毒、東京杉並区の光化学スモッグ、静岡県田子の浦のヘドロ公害などが、この年に相次いで表面化しています。
当時、大人だった方は直ぐに思い出して頂けたのではないでしょうか。
その記事によりますと、事件の直接のきっかけは20日未明、映画館やホテル、飲食店などが軒を連ねるコザ市(現沖縄市)の大通り、軍用道路24号(現国道330号)で道路を横断していた住民を米兵運転の車がはねた交通事故だったそうです。
米軍警察と琉球警察が現場検証にあたったが、付近の歓楽街などから集まった人々は、これまで起きた交通事故での米軍側の処理に不信を抱いており、一帯は騒然となりました。
さらに、事故現場近くで別の米兵による追突事故が発生したことを切っ掛けとして、群衆の一部が事故車やMPに石を投げ、MPカーをひっくり返して火を放ったのです。
MPは空に向けて数発、威嚇発砲をしましたが、それが逆効果となり事態は収拾不能な状況となってしまいました。
群衆は軍用道路で、米憲兵や米軍関係の車両を次々と横転させ炎上させる行為が繰り返されました。
午前7時ごろ憲兵の警備で群衆が退散するまで、騒動は約6時間に及んだ。加わった数は5千人ともされています。
被害車両は82台。米側56人、地元住民32人の計88人が負傷、琉球警察は476人、米側は198人を出動させて鎮圧にあたりました。
群衆の一部は嘉手納基地内にも進入し、21人が現行犯で逮捕されています。
さて、この事件の原因は何処にあるのでしょう?
戦後、わが国の政府は目をつぶり(無視)続けていた占領軍(米軍)との関係です。
その米軍が事故や犯罪を起こすと思い出したように取り上げられるのが「日米地位協定」ですよね。
「日米地位協定」?聞いたことがあるけれど内容はよく知らない、そんな人が多いのではないでしょうか。
まして、協定の条文そのものを見たことがある人は、そんなに多くはないでしょう。
でも、どうも問題があるようだ、そう思っている人は少なくないはずです。
そんな「日米地位協定」の問題がわが国で広く共有されるようになったのは、1995年以降だといいますから、政治家や官僚のみなさんは寝ていたのでしょうか?
先の大戦で敗戦国となったのはわが国以外にもありますよね。
当時の同盟国であったドイツ、イタリアでは不平等な地位協定はどうなっているのか?お正月休み中に調べてみたいと思います。
スポンサードリンク
2020-12-25 00:00
nice!(131)